2005年版 どうでもいいような道草話集
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2005年
 8月7日(水)の記事

 七夕について

 ご近所では『七夕祭り』を行っている家もある様で
家の軒先に笹竹に短冊が飾ってあった。
数年前(子供達が小さかった頃)までは
我が家でも『七夕さま』を飾り、短冊やら酢饅頭を供えたものだ
…で、『たなばた』は7月7日です。
ところが、この『7月7日』旧暦の話で現在においては
『8月7日』の所も多く、こちらが一般的…ですが
今年の『旧暦7月7日』は8月11日で、毎年変わる
『たなばた』を、判りやすく月遅れの『7日』に定めているようだ。
しかも7日の朝にかけての『星祭』と云う『7日の夜』のお祭りでは無いようです

 8月12日(金)の記事

 盆の入りについて
 明日13日は盆の入り
盆飾りで『胡瓜の馬』を『茄子の牛』を作りますがご存知でしょうか?
この意味は
ご先祖様が迎え火の煙に導かれ、早く家に戻って来れるよう馬に乗り
盆が終わると送り火と共にゆっくり帰るよう牛に乗る と言う意味です
そして、『蓮の葉』は成仏できなかった霊を蓮の葉に乗せてあの世へ送るのだそうです
 8月23日(火)の記事

 現代っ子の考え方

 NHK教育テレビで『青い鳥籠の中の鳥』を、絵にする実験で小学生30人の内
鳥籠を青く塗ったのが15人。コレは文章どおり
鳥を青く塗ったのが5人。こちらは『青い』で一度文章を区切り後の『鳥』に付いている
鳥と籠の両方を塗ったのが10人。
両方を選んだ10人は『どちらを指しているか判らないから両方』と答えたと言う。
直感的に選んだ15人。想像力豊かな5人。そして予測もつかない(私には)10人。
この結果、貴方はどう考える?

 8月24日(水)の記事

 台風の予備知識
 台風委員会なる者が定めるところによると
今回の『11号』はマーワー
日本を反れた『12号』はグチョルと名付けられている
次に台風が発生すると『タリム』となるらしい
これは『アジア名』として記録されている
 8月28日(日)の記事

 方言の一部

 秩父では(吉田地方の私の周りでは)古くから
『コタツ』や『いろり』など
火を使う暖房器具で温まるときに
『ぬくんべ〜』っと言う言語を使う
たとえば客人の、おもてなしに
『さあさあ、とぼうにつったってね〜で、あがっとくんな』
                       通訳「さあさあ、玄関に立っていないで、入って下さい」
『外は寒かったんべ?じぎせず、こっちきてぬくんべにあたっとくんな』
                       通訳「外は寒かったでしょう?こちらで温まって下さい」
っと、言うような具合だ
この『ぬくんべ〜』は、前後の文章で『ぬくんべ』にもなる

 8月31日(水)の記事

 彼岸花について

 この辺では日高市の巾着田が観光スポットになっています
そろそろ、見ごろになるのでは…おはこんばんちは〜。べろきりばなで〜〜す
情報によりますと、今年から有料(¥200)だそうです!
コノ『彼岸花』(秋彼岸の頃に開花するので)
別名『曼珠紗華』(天上の花の意)
と呼ばれているのはご存知でしょう
『別名』これが、ビックリ!!
な・な・なんと『1090』もの呼び名があるそうなのです
(1090のほとんどが方言)
私も子供の頃に『べろきりばな』と呼んでいました
子供心になんとも気味の悪い名前だなぁと思ったものです
【別名の一部】
『葉見ず花見ず』(花と葉を同時期に見られないから)
『狐花』・『狐ゆり』・『狐の松明(たいまつ)』
『舌曲がり』・『死人花』・『葬式花』・『地獄花』・『灯篭花』
『どんどろけ花』(どんどろけは鳥取県の方言で雷)
『ドクバナ』(根の部分にリコリンという毒がある…が、
昔の人はコレを一昼夜以上流水で、さらし
根からでん粉を取り飢餓の時にだんごなどにして食した)

 9月4日(日)の記事

 秋刀魚について

 秋刀魚は地方名と言うのがあるそうで、
主に『サイラ』と他にサエラ、サヨリ、サエロ、セイラ等がある。
サンマは脂肪タンパク質ビタミンミネラルを多く含み
DHA(ドコサヘキサエン酸)・EPA(エイコサペンタエイ酸)・ビタミンA・ビタミンB12・ナイアシンなどの
栄養素を含んでいます。
サンマの内臓には、『ビタミンA』が豊富に含まれているのです。
さらに、ビタミンB1・2・C、ナイアシンも含まれています。
サンマの骨にもカルシウムをはじめミネラル、ビタミンなどが含まれているんです。
サンマは回遊魚なので水圧を受けずに成長するので骨が他の魚に比べて柔らかい。
『秋刀魚』は字のごとく『秋のたより』なのですが
その年の『魚群』を調べる船が、6月末頃に出かけて試験操業し
これで捕れた秋刀魚が、シーズンの一番はじめの7月の初旬から中旬くらいに出回るのです。
と言うことで、『秋のたより』の秋刀魚は真夏に入る前に姿をあらわすのです。
因みに、試験船での漁獲は『刺し網』
普通は『秋刀魚棒受網』という漁法。
この『秋刀魚棒受網』は灯火に近づく秋刀魚の習性を利用した漁法で、
秋刀魚が大群となって集まってくるため、秋刀魚が鱗を飲んでしまうが
『刺し網』は網を張ったところに来た秋刀魚だけを漁獲するので
前説の『内臓』が美味い秋刀魚のようです。

 9月6日(火)の記事

 米作り

『苗づくり』
 米作りは春の訪れとともに忙しくなります
4月頃になると苗づくりが始まります
土が入った苗箱の中に消毒され水を吸わせた種もみがまかれ
その上に薄く土がかぶせられます。
そして、ビニールハウスの中にきちんと並べられ発芽するのを待ちます
『田起こし』
 田んぼに基肥[もとごえ]といわれる肥料をまき、トラクターで耕します
昔は人がすきを使ったり、牛や馬で田んぼを耕していました
『代かき』
 田起こしが終わると田に用水路から水を引き田を平らにする代かきをします
『田植え』
 5月頃になると、田植機を使って田植えが始まります
機械で植えられない田の隅の方は補植[ほしょく]といって手で植えます
『肥料、除草』
 田植えが終わってからは気候や稲の伸び具合をみて
水や肥料の調節をしたり、草が生えないように除草剤をまいたり…
早く苗が大きくなるように『大事に』育てます
梅雨の頃になると稲のかぶが大きくなり、丈もどんどん伸び始めます
稲の一生で一番大事な時は、米に穂ができる7月頃と、穂がでる8月頃です
この頃に病気や害虫から稲を守るために農薬をまいたりします
穂ができる7月頃に低い温度の日が続くと、冷害になり大きな被害を受けます
9月頃になると稲の穂が実り黄金色になります(この辺には[紫]、[赤]も…)
『稲刈り』
 稲は大型コンバイン等で見る見るうちに刈り取られます
その後、刈り取られたもみは『耕運機』などで農舎へ運ばれ貯蔵されます
『貯蔵』
 乾燥され、低温で貯蔵されます
そして必要なときに必要な量だけ、籾摺りされます

 9月7日(水)の記事

 初CMソング
 今日は『CMソングの記念日』だそうな
1951年、ラジオ放送で日本初の『CMソング』を使ったCMがオンエアされたそうな
小西六(現在のコニカ)の「さくらフィルム」の宣伝のためにつくられたCMソングのタイトルは
『僕はアマチュアカメラマン』歌のなかに社名・商品名は入っていないものの
親しみやすい歌詞とメロディでたちまちお茶の間に浸透していった
このCMの成功によってラジオやテレビでは、一躍CMソングブームが訪れるのだが、
そんなCMソング全盛期を支えたのが
「僕はアマチュアカメラマン」の作詞・作曲者でもある三木鶏郎
「明るいナショナル」や「ポポン・ポポン」さらには「くしゃみ3回ルル3錠」など、
今でも記憶に残るようなCMソングを数多く手がけている
因みに『鉄人28号』それから『ジャングル大帝』のテーマソングもこの人
いつまでも記憶に残り、子どもたちが口ずさむCMソングは
現代において『童謡』より重要な意味を持っているのかもしれない
 9月9日(金)の記事

 砂糖と塩について
 『砂糖』
砂糖の原料は、さとうきび、てんさいです。
砂糖の働きは、甘味をつけるだけでなく、
肉を軟らかくしたり、卵焼きをふっくらさせたり、カビや細菌を防ぐ効果も有ります。
砂糖は、結晶の大きさや状態の違いによって、
グラニュー糖・上白糖・中ざら糖・三温糖・黒砂糖などがありますが、
黒砂糖意外は味に大きな差は感じられません。
砂糖の純度の違いで味わいが違うとされています。
純度の高い白色の砂糖は淡白な甘味、
純度の低い茶系色の砂糖は甘味が強く、不純物を含むため独特のコクがあります。
 『さしすせそ』
料理の味付けは砂糖・塩・酢・醤油・味噌の順です。
砂糖を塩より先に入れるのは、
分子の小さい醤油の塩分が先に入ってしまうと、分子の大きい砂糖が染み込まなくなるからです。
 『塩』
塩の原料は、岩塩・天然かん水・海水です。
塩には、素材中の水分を外に出したり、りんごなどの褐色防止、
里芋などのヌメリ取り、たんぱく質の凝固作用などの効果が有ります。
また、塩漬けや塩蔵など食品の加工や保存にも使われます。
パスタを茹でる時、塩を入れるのは、塩が小麦粉のたんぱく質に働きかけ、
たんぱく質の主成分であるグルテンの粘りを出す性質を強めて、パスタのコシを強めるからです。
 9月10日(土)の記事

 蒲の穂について
 フランクフルト注文で〜すこの植物は水辺や沼地に生える『蒲の穂』です。
昔話『因幡の白兎』で嘘をついたしろうさぎはワニ(鮫)に皮を剥がされます。
そこへ大勢の神様たちが通りがかり、
海水で身を洗って乾かすようにすすめました。
そうするとますます痛くなりました。
しばらくして大黒様(大国主神)がやってきて、「真水で洗って、蒲の穂綿で
身をくるみなさい。」といいました。
そうにしたら、痛くなくなって、
しろうさぎは、やっと安心して、眠ることが出来、
新しく美しい毛が生えそろった。
と言うお話しに出てくる草です。
 穂の茶色い部分は雌花で、雄花はその先につきます
                          (写真では枯れたのがみえます)
フランクフルトソーセージみたいな感じです。
別名のミスグサは、葉や茎からすだれやむしろを作ったことによります。
もう少し秋が深まるとこの茶色い蒲の穂も綿毛に変わります。
 9月12日(月)の記事

 秋の七草
 今、龍勢会館の裏手には、萩の花が一面を覆っています
萩の花といえば『秋の七草』の一つです
秋の七草とは、ハギ ・キキョウ ・クズ ・ナデシコ ・オバナ(ススキのこと) ・花じゃ!!花じゃ!!花を持て〜い
オミナエシ ・フジバカマ

【秩父郡長瀞町の七草寺】
@法善寺(ほうぜんじ)秩父鉄道・野上駅下車、徒歩15分
   藤袴:幻の花といわれる。赤紫色の花で、境内にはその芳香が漂います。
  裏山に寺宝・採掘自然銅があります。
A不動寺(ふどうじ) 秩父鉄道・長瀞駅下車、徒歩20分
   撫子:撫子の淡紅色の花は優しい風情を感じさせます。
  本尊の不動明王は、1年に1つだけ願い事をすると必ず叶えてくれる
  と言われ、一願不動の別名もあります。
B真性寺(しんしょうじ)秩父鉄道・野上駅下車、徒歩10分
   女郎花:秋の七草の中で一番早く開花。鮮やかな黄色が特徴。
  弘法大師作とされる秘仏薬師如来像や、約3億年前の秩父古生層から発見された岩猿などの
  寺宝があります。
C多宝寺(たほうじ)秩父鉄道・野上駅下車、徒歩10分
   桔梗:紫と白の桔梗がいっせいに開花すると、境内が鮮やかに彩られます。
  本尊は十一面観世音菩薩で、両脇に不動明王と毘沙門天を祀っています。
D洞昌院(とうしょういん)秩父鉄道・野上駅下車、徒歩20分 
   萩:山萩・白萩・屋久島萩など多くの品種があり、数万本が紅や白の小さな花を咲かせます。
  本尊は不動明王で、この辺りでは珍しく奥の院があります。
E遍照寺(へんしょうじ)秩父鉄道・野上駅下車、徒歩40分
   葛:葉に埋もれて紫色の花を咲かせます。
   本尊は役行者神変大菩薩(えんのぎょうじゃしんぺんだいぼさつ)で、木製寄木づくりの尊像が
   安置されています。境内右側には葛のトンネルがあり、甘い香りを漂わせます。
F道光寺(どうこうじ)秩父鉄道・樋口駅下車、徒歩10分
  尾花:黄金色の穂が秋風に吹かれて波打ちます。
  本尊は釈迦如来で、祀れている身の丈一尺二寸の像は運慶の作と伝えられています。 

…因みに春の七草は、セリ・ ナズナ(ペンペングサ)・ ゴギョウ(ハハコグサ) ・ハコベラ(ハコベ)
ホトケノザ(現在のホトケノザではなく,タビラコを指す) ・スズナ(蕪) ・スズシロ(大根)
 9月15日(金)の記事
 
 老い

 本日9月15日は敬老の日であったのです。
1951年に【としよりの日】となった。
そして、1966年の国民祝日法改正で「敬老の日」となり、
2003年の祝日法改正で9月15日から毎年9月の第3月曜日に変更された。
コレに伴い、それまでの敬老の日を記念日として残すために「老人の日」と制定された。
国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、
老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促す日。
この日は723年聖徳太子が四天王寺に貧しい人や病人・孤児などを救済する
悲田院(ひでんいん)を設立した日
とされておりそれに因んだものであり、長寿を祝う日。
厚生労働省は、今月末で百歳以上になる高齢者を1日現在でまとめて、
平成17年の「長寿番付」を発表した。
それによると、全国の百歳以上のお年寄りは9月末時点で前年比約2,600人増の25,568人で、
35年連続の過去最多を記録した。
長寿者の多数を占めるのは女性で、初めて2万人の大台を突破してきた。
ヤハリ最後に生き残るのは女か… へッへへp( ̄ー ̄)q

都道府県別で、人口十万人当たりに百歳以上の高齢者が占める比率は、
沖縄県が51.43人で昭和48年から連続トップ。
高知、島根、熊本、鹿児島各県が続き、西日本に長寿県が集中し、
最も低いのは我、彩の国・埼玉9.81人(T-T)
百歳以上の高齢者は医療の進歩などで増え続けており、
昭和56年には約一千人だったが、平成10年には一万人15年には二万人を突破。
平均寿命も、女性の場合で昭和38年の72.34歳から平成16年には85.59歳へと延びた。
東京都老人総合研究所の白沢卓二・研究部長は「50年後の平均寿命は90歳、100年後は100歳。
今世紀初頭に生まれた女児は、来世紀まで生きることになりそうだ。」と予測している。

細々と【ひじきの日】でもあります。
前説のように9月15日というのは、年寄り、敬老、老人…長生きの日なのだ。
日本ひじき協会が、健康食品『ひじき』の販売促進目的で
旧「敬老の日」に因み、昔から『ひじきを食べると長生きをする』と言われていることにより制定

 9月16日(金)の記事

 秩父の語源

『秩父』は昔『知々夫』と書きました。
これは @崇神天皇(すじんてんのう)の A御代(みよ)に
知々夫彦命(ちちぶひこのみこと)がこの地の国造(くにのみやつこ)に
任命されたからだと言われます。
知々夫彦命は『古事記』で有名な八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)の
十代の孫にあたる方です。
また、この他、秩父地方に『ちちの木』(いちょう)が茂っていたから…という説もあります。
いちょうには、枝の下に乳房のように垂れ下がるこぶがあります。
このため乳の木…つまりちちの木と呼ぶからです。
それから秩父地方に多い乳石(石灰岩。武甲山はその代表的な物です)からチチブ
と言ったと言う説もあります。
…ただ、どっちの「ちち」も「ぶ」が無いですよね。
知々夫彦命は、秩父を開いた大恩人なので、秩父神社に祀られています。
その後、和銅年間になると国の名は「美しい二字に改名」の達しがあり、
この時から知々夫を秩父と書くようになったそうです。
誰が決めたか知らないが、
この時代の漢字で知々夫を表す時『秩父』の字が一番美しい文字だったのですねぇ。
秩父の宮と同じ漢字なのはちょびっと気になるところです。

@記紀で、第十代の天皇。開化天皇の皇子。
A天皇の治世。また、その在位期間。

 9月18日(日)の記事

 十五夜

 中秋の名月とは陰暦で8月15日の月を「十五夜」「中秋の名月」などといいます。
今年は新暦9月18日にあたります。
陰暦では1〜3月が春、4〜6月が夏、7〜9月が秋、10〜12月が冬です。
そこで8月は秋の中の真ん中の月なので「中秋」と呼ばれるのです。
古来、日本人は月をめでて来ましたが、やはり満月が一番美しいものとされました。
その中でも中秋のこの時期は空気が澄んでいて、最も美しい満月が見れるということで、
平安時代初期に、この日、月を見ながら宴会をする風習ができたのです。
この宴は月を見ながら和歌を読み、その出来をみんなで評価しあって酒を飲んで楽しみました。
この行事が定着し始めると、月の見える所にすすきを飾り、月見団子、里芋、枝豆などを盛り、
御神酒を供えるようになります。
天気の悪い場合は十六夜(いざよい)十七夜(たちまち)などに期待を掛けました。

中秋の名月というのは、陰暦8月15日で、つまり新月から14日後をいうわけなのですが、
新月から14日経っているからといって、必ずしも満月になるわけではありません。
地球も太陽も楕円軌道を回転しているので必ずしも一定の速度で動くわけではなく、
更には新月が夜中の0時ジャストに起きたのでも無い限り、その分のズレも生じる訳です。

月見は中国の中秋節の影響で始まったものとされます。
中国では月餅をこの日食べていたのですが、日本に来ると月見団子に変わってしまったようです。
しかし、この月見が民間に定着するにあたっては、やはりその基礎となる習俗がありました。
これが初穂祭、つまり秋の収穫祭であるとされます。
春から手を掛けて育てた作物が秋には実り、人々に大事な食料をもたらしてくれます。
日本人はこの自然の恵みに感謝してこの時期いろいろな祭を行いました。
特にこの時期に多く祝われたのは里芋の収穫で、そのため、月見に里芋を供える風習ができ、
この名月を「いも名月」とか「いものこ誕生」と呼ぶ地方もあります。

この芋名月の夜は昔は多くの地方で、
人の畑に植わっている芋を「勝手に取って食ってもいい」という風習がありました。
ただし幾らでも取っていいという訳ではなく「道から片足踏み込んだ所までとする」
というお約束でした。これは『片足御免』という風習です。
昔の日本というのは、このように特定の日にみんなで悪いことをすることを認めて、
それによって各種のストレスを解放するという社会的な仕組みができていました。
似たような風習はヨーロッパでも数十年前までは見られ
集団で牛を盗んでみたり、馬車を木の上にあげてしまったり、動物を袋叩きにしたり、
道行く人に泥を投げつけたり、などといったことをカーニバルの時などにやる風習がありました。
現代はそういったストレス発散の機会が無いのは若者達にとって、不幸なことかも知れません。

■十五夜のお供え(祭壇をこしらえる)
十五夜のお供えは地方によってそれぞれのようですが、
基本は…御神酒(日本酒)。
      ススキなどの秋の草。
      上新粉を捏ねた月見団子を15個を三方に盛るのが正式です。
      新物の里芋やさつま芋、ぶどう・梨・柿など秋に旬を迎える果物をお供えします。
*農耕から始まった行事なので、魚や肉はお供えしません。
*神棚のある家なら、忘れず神棚にもお供えを。

しかし、現代社会、堅苦しく考えずに家族の好きな秋の味覚を揃えて、
お月様へのお供えから下げた後は名月を観賞しながらみんなで美味しくいただきましょう。

 9月19日(月)の記事

 苗字の日

 普段、何気なく使っているあなたの苗字
これは国の政策によって、定められたのでありました。
1870年(明治3年)9月19日戸籍整理のため、
太政官布告により一般市民も苗字を持つことが許されました。
しかし、市民は苗字がなくても不自由しないので、苗字を名乗ろうとしませんでした。
1875年(明治8年)2月13日(苗字制定記念日)
すべての国民が姓(苗字)を名乗ることが義務づけられました。

それ以来、あなたの先祖はその苗字を重んじ守ってきたのであります。おそらく…
…さて、あなたの苗字は全国で何位?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~suzakihp/index40.html
     ↑
苗字の順位と全国件数が分ります!

 9月20日(火)の記事
 快晴の日…
 年間で快晴の日が
一番多いは…意外な事にココ彩の国・埼玉で75日
一番少ないのは…な・な・なんと沖縄県7日
青い空・青い海のイメージの沖縄ですが、
高温による水蒸気で晴れの日でも雲の発生が多いのだそうです。
 9月22日(木)の記事
 吉田の語源・由来

 現在、富士山は休火中ですが、昔は何度も噴火していました。
最近では、江戸時代の宝永四年に噴火して『宝永山』が出来ました。
平安時代の永保三年にも大噴火があり、麓の富士吉田は大きな被害を受けました。
富士吉田の人々は、この地での生活再建を諦め秩父へ移住しました。
しかし、故郷の富士吉田が忘れられず、この地に同じ名前を付けました。
例えば、上吉田・下吉田・関・小暮・上の原・暮坪などです。
(暮坪は何茶亭の坂の上の地。関・小暮・上の原は何茶亭の南西方向?カナ)
また、富士山に似ている山を『浅間山』(せんげんやま)と名付けて『富士浅間社』を祀りました。

 9月26日(月)の記事
 カマギッチョ
 カマギッチョって知ってますか?
知り合いのおばさんが「カマギッチョだで」って
「あぁカマキリねっ」って、見てみると
そこに居たのは『トカゲ』でした。
「あれ?カマギッチョってトカゲだったかしら?」
 
そこで調べてみたところ
川越や秩父では『カマキリ』の事を『カマギッチョ』と呼びますが、
群馬の方では『トカゲ』を指すようです。
隣県なのに同じ言葉が爬虫類と昆虫とは…方言て面白いですね。 
 9月29日(木)の記事
 「たたむ」って漢字
 折りたたみ傘や折りたたみ自転車等の『たたむ』とは漢字で『畳む』と書きます。
従って『たたむ』の語源は『たたみ』です。
 
【畳は、たためるもの・重ねられるもの・敷物すべてを意味したもので、これが畳の起こりである。
 敷物としての畳は、『古事記』(712年)に「菅畳」「菅畳八重」「皮畳八重」「きぬ畳八重」の記録があります。
「日本書記」(720年)に「八重席薦」が、「万葉集」にも「木綿畳」「八重畳」「畳薦」といった文字がみられます。
 菅畳(スゲの葉を編んだむしろの様なもの)や毛皮など、座る時や寝るときに下に敷くもので、
今のようなワラ床がついたものではなく、敷物を幾重にも折り重ねたものの総称であった。
 古墳時代以降に寝所として床が作られるようになり、それまでの土間と釜との簡単な住居からの変化に伴い、
床の上の敷物としてこのような薦や筵のような畳が使われるようになる。これらはベッドの敷布団の役割をしていた。】
 10月1日(土)の記事
 日本酒の日
 全国酒造組合中央会が1978(昭和53)年、若者の日本酒離れを食い止める為に制定。
新米で酒造りを始めるのが10月。
酒壺を表す「酉」の字は十二支の10番目。
さらに「酒造年度」が10月1日から始る。
何かと酒に関係の深いこの日を清酒をPRする「日本酒の日」としました。
 10月14日(金)の記事
 平 将門と城峰山
 その昔、藤原秀郷に追われた平将門は、城峰山まで落ち延びた。
秀郷は椋神社に参拝し、「早く将門を捕らえられますように」と祈った。
すると、その晩、ネズミの大群が城峰山に押しかけ、鎧や兜の紐を噛み切って、使い物にならなくした。
そこで秀郷は一気に城峰山に攻め登った。
不意を突かれた将門の郡は乱れ、岩穴に隠れていた将門も捕らえられた。
将門は秀郷の前に引き出されると「将門でござる」と自ら名乗った。
ところが続いて同じ顔形の将門が捕らえられ「将門でござる」と名乗った。
秀郷が目を見張り、考え込んでいると、三人、四人、五人…なんと八人もの将門が捕らえられ、
「将門でござる」と名乗った。
そこへ一人の家来が、若い女を捕らえてきた。
それは将門の侍女、『桔梗』だった。
「将門はどれだ」 と訊ねたが、桔梗は口を閉じたままだった。
「おまえが教えぬなら、八人の首を撥ねる。偽の将門を生かすも殺すも、おまえの決心一つ」
秀郷の言葉に、桔梗は観念し、 「食事の時、こめかみが一番大きく動くのが将門様でございます」と言った。
早速、八人の将門に食事を取らせた。
こめかみが一番大きく動いた本物の将門は、遂に首を打たれる事になった。
将門は首を打たれる前に、 「桔梗あれども花咲くな」と言い残した。
侍女の桔梗は、将門の後を追って、自ら命を絶った。
「秋の七草 薄紫の 花の 桔梗はなぜ咲かぬ」と言う歌の通り、
城峰山には、今も桔梗の花は咲かないのです。
 10月15日(土)の記事
 将門の首
 二杯目のお茶
 平将門が藤原秀郷に首を撥ねられたその瞬間、
怒りに燃えた将門の首は、空へ舞い上がったかと思うと、
物凄い唸り声を上げて、秀郷に向かってむしゃぶりついていった。
両眼をカッと見開き、髪を振り乱した凄まじい形相に、
秀郷は恐くなって、一目散に逃げ出した。
ところが、将門の首は秀郷がいくら逃げても、空を飛ぶように後を追いかけてきた。
城峰山を下り終えても、首はまだ追いかけて来た。
吉田の町外れまで逃げ、そっと後ろを振り向くと首は見えなかった。
咽が渇いた秀郷は一軒の茶屋に飛び込み、茶を所望した。
茶屋の婆さんが出してくれた茶を、一口飲んだ秀郷は、 「旨いお茶だった」 と言って、
また走り出そうとした時、
「これこれ、お武家様。そんなに慌てねぇで、もう一杯飲んでいがっせぇ」 と言った。
秀郷は、気は急ぐものの、二杯目の茶をもらって飲んだ。
二杯目の茶を飲みながら、外を見ると、将門の首が唸りを上げて飛んでいった。
「あぁ助かった」 秀郷は、胸を撫で下ろした。
(秀郷が一杯だけで走り出していたら、将門の首に捕まるところだった訳よ)
こんなことがあってから(吉田では?)
「一杯茶は縁起が悪い」 「お茶は二杯飲むもんだ」 と言われるようになったんだと!!
 10月17日(月)の記事
 朝茶はその日の難逃れ

 むか〜し、昔、その昔。 山の谷間の一軒家に お爺さんとお婆さんが住んでおったと。
ある朝、大蛇が爺さんと婆さんを呑んでやろうと近づいた。
家ん中の様子をうかがって、隙こそあらばと狙ってた。
「爺さんや 朝茶(あさちゃ)を一杯飲まっせ」
「朝茶か これは旨そうだ。早速飲んべぇ」
これには大蛇が驚いた。
「朝蛇(あさじゃ)を呑むとは!これは恐いぞ。逃げよう」 と、山に向かって一目散。
おっちょこちょいな蛇が茶と蛇を間違えたお陰でお爺さんとお婆さんは命拾いをしました。

これから秩父の農家では、『朝茶はその日の難逃れ』つって、
朝茶を飲むようになったんだっつうで。

 10月20日(木)の記事
 八人峠の山賊と菊水寺

 むか〜しな、小坂下峠(こざかけとうげ)には、八人の山賊が住んでいた。ご本尊様じゃ〜
村人は、この峠を『八人峠』と呼んで恐れていた。
ある日山賊たちは、通りかかった旅僧の持ち物全てを剥ぎ取った。
ところが、 旅僧は少しも驚かず、口元に微笑さえ浮かべながら哀れむような目つきで、
手に印を結んで経文を唱えると、山賊たちは身動きが出来なくなった。
「盗みの罪は極めて重い、今ここに心を改めるなら仏の慈悲が下されよう」
諭された山賊は「改心するので弟子にして下さい」と頼むと
旅僧は「菊水の霊泉で心身の穢れを清め、観世音をお守りしなさい」
と言って 3躰の観音像を刻んで与えた。
山賊はこの地に寺を建て、聖観世音菩薩像を祀って
『菊水寺』と呼び、旅人の安全を祈願したんだとさ。

 『菊水寺』は永禄12年(1569)甲斐武田軍の「信玄焼き」に遭い、焼失した。
難を逃れた観音三尊は(小坂下観音)はやがて桜井の長福寺へ預けられたが、
長福寺は次第に菊水寺(札所33番)と呼ばれるようになり、いつしか小坂下観音が本尊とされるようになった。
その為、長福寺旧本尊(滝見観音)は桜井の檀家に預けられ、
檀家18件が1ヶ月交代で滝見観音をお守りする『巡り観音』の習慣になった。
小坂下観音の旧地は八人峠の麓にあり、菊水の泉は大きな銀杏の木の下に井戸として現存している。

井戸は畳半畳位の大きさで深さ2m位でした。
水深は10cm位しかなかったものの綺麗な、しみずが湧き出ていた。

 10月21日(金)の記事
 一杯のお茶

 江戸時代になると秩父に観音参りをする人が増えてきた。二杯は飲めんぞ〜
歩きには自信のある巡礼も、札所32番から33番菊水寺へ巡る頃には
疲れもたまり、奈倉の大徳院を見て「あれが菊水寺か?」
と尋ねずにはいられなかったそうだ。
「いやいや、菊水寺は川を渡った先の桜井の里だよ。
あそこの茶屋で休んで行くがええ。」
と、村人に言われて、巡礼は皆、その茶屋に立ち寄ったんだと。
この茶屋は藤六の薬師様の前にあって、美しい娘が働いておった。
出されるお茶は大そう美味しく、弘法茶と呼ばれていた。
「弘法様のご利益で、疲れが取れますよ。」と娘が言うので、
もう一杯欲しがっても、決して二杯目は出してくれなかったそうだ。

ある日。観音様にお参りして、桜井の里で宿を取った男が
「あの娘に会って、お茶をもういっぱい飲みたいものだ」と、藤六の辺りまで引き返したんだと
ところが茶屋は見当たらず、あちこち歩き回るうちに、とうとう道に迷ってしまった。
農夫に道を尋ねると「ここは、よく道を間違えるんで迷途(めいど)沢と呼んでいるんだよ。」
と笑い、桜井への道を教えてくれた。
やっとの事で宿に戻り、門前の居酒屋で、今日の事を店主に話すと
「おめえ様が道に迷ったのは観音様のお導きだ。あのお茶を二杯も飲んだら、かえって身体に悪い。
きっと豪い事になっとったぞ。」

この『弘法茶』と言うお茶
『カワラケツメイ』と言う草を陰干ししたもので、疲れを取る強い薬の効果があったそうです。

 10月22日(土)の記事
 カワラケツメイについて

 カワラケツメイ(マメ科:1年草・草丈30〜60cm ・花期7〜10月)

カワラケツメイの名前の由来は、
薬効が決明(けつめい・エビスグサ)に似ていて、川原に多く自生することからこの名がつきました。      
茎葉を摘んで茶の代用として古くから飲用され『弘法茶』と呼ばれています。
その他にも色々な呼び名があります。葉がネムノキに似ていて、お茶のように飲むことから「ネムチャ」
                       種子がマメのように見えるので「マメチャ」
                       浜辺の湿地に多く自生することから「ハマチャ」等

分布生育場所:本州、四国、九州の日当たりのよい原野、河原、道端、荒地に群れる1年草。

見分け方・特徴:茎はやや堅く毛があり、中空ではありません。
          葉は互生し、偶数羽状複葉で、左右不均衡に多数の小葉をつけています。
          花は8〜10月頃葉の脇の小枝に1〜2個の黄色い小花をつけます。
               径約7mm、花弁は5弁でそれぞれの花弁はほぼ同形、倒卵型をした放射状花で、
          一般適な蝶形花をつけるマメ科植物より原始的なものです。
          雄ずいは4本あります。
          果実はさや果で平たく、長さ3〜4cmで表面に細毛が生えています。
 
採集と調整:8〜9月頃、花と果実をつけた全草を採集し、水洗いし、
        日陰に吊るして、2cm程の長さに刻み乾燥させます。
        これを生薬の、山偏豆(さんぺんず)といいます。
 
薬 効:滋養強壮・鎮咳薬として・脚気・腎炎・黄疸・偏頭痛・慢性便秘・毛深い私…はずかしい〜 利尿作用・夜盲症・インポテンツなど

用い方:民間薬としては、利尿、緩下薬程度にしますが、1日量20gを
     煎じて茶と同じようにして飲みます。
      少し炒った方が飲みやすく、また効き目もあります。
       あまり多量に服用すると腹痛や下痢を起こすことがあります。

最近の健康茶ブームでカワラケツメイもその一種として利用されています。
アントラキノン系の成分が含有されていますので、緩下作用があります。
エビスグサやハブソウの種子と同様の薬効が期待できます。

 10月24日(月)の記事
 撒かずのほうき

 小鹿野から流れ込んだ赤平川は、桜井橋から番戸橋の間で大きく曲がって流れている。
そこには高い崖と大きな淵があってな『土佐ん淵』と呼んでいる。
そこから500m位下流の水際に、毎年ほうき草が生えるんだが、
洪水がきても、土砂崩れが起きても、また生える。
数百年もの長い間、生え続けているので『土佐ん淵の撒かずのほうき』と言われているんよ。

時は、永禄三年。小田原城主・北条氏康が秩父に侵入した時の事だった。土佐の坊と言う僧がおって、
事の次第を武将・武田信玄にお伝えせねばとまだかな〜崖んのおじちゃん
庭に干してあった箒草を掴むと、それを鞭に馬を走らせた。
しかし、時既に遅く、敵は周りを取り囲んでいた。
土佐の坊は逃げ場を失って、番戸の崖から淵に身を投じて死んでしまった。
この時、土佐の坊が鞭に使っていたほうき草の種が目を出し、
今も土佐ん淵で土佐の坊の霊と共に生き続けている。
このほうき草を持ち帰ると土佐の坊の霊が不幸をもたらすと言われてるとか…

実は、この土佐ん淵。我が家のすぐ近く。
子供の頃は夏場になるとここで良く遊んだ。
現在では川瀬も変わっているだろうが、
その頃は1m50cmはある深い淵で魚も良く捕れた。
親から淵のいわれは聞いていたが、ほうき草は見た事がない。
両親の話しによれば、ほうき草は毎年、生えていた(近年護岸工事が行われたからどうだか)との事。
…だが、ほうき草を持ち帰るな!と、教えられた記憶は無く、親もそう言う言い伝えは知らないと言っていた。
この時季なら枯れたほうき草が残っているだろうから見つけに行ってみたが、見当たらなかった。
現在は、絶えてしまっているらしい。

 10月27日(木)の記事
 テディベアの日

 アメリカの26代大統領セオドア・ルーズベルトは、狩りで小熊にとどめの一発を撃つのを拒絶しました。
このエピソードにちなんで、発売された熊のぬいぐるみが「テディベア」です。
この名前は大統領「セオドア」の愛称「テッド」から「テディベア」と名付けられました。
10月27日はセオドア・ルーズベルトの誕生日です。

■ディズニーアニメ くまのプーさんの誕生日
  プーには3つの誕生日があると言われています。
@物語上の誕生日:プーは、クリストファーロビンが1歳の時にミルンがプレゼントした「テディ・ベア」なのです。
  クリストファーロビンが誕生したのは、1920年8月21日ですので、1921年8月21日が誕生日となります。
A原作の出版日:はじめて本の世界にプーさんが誕生した日・・・
  それは、原作の「クマのプーさん」が出版された日です。
  したがって、発行された10月14日が誕生日となります。
Bディズニーの誕生日:これはディズニーアニメ「くまのプーさん」のプーさんが
  スクリーンにデビューした日 です。
  映画が公開された2月4日が誕生日となります。
 
■ディズニーにおける「誕生日」とは
ファンの間では「スクリーンデビューの日=誕生日」という考えが浸透しています。
公式に誕生日が設定されている「ミッキー(11/18)」と「ドナルド(6/9)」の誕生日は
「スクリーンデビューの日」 だからです。
他キャラクターには公式な誕生日はありませんが、生誕○○周年というのは発表されています。
それはスクリーンにデビューした年から数えられていますので、
やはり「誕生日」というのはスクリーンにデビューした日と考える方が多いのです。

 10月31日(月)の記事
 秩父紅葉情報

 ≪コスモス≫11月中旬まで
【横瀬町】  秩父〜横瀬へ向かい、横瀬町民会館左折。
        寺坂モデルルートに隣接する棚田の休耕田1.2haを利用
        武甲山を背景に色とりどりのコスモスが咲き乱れる。擁壁の植栽ブロックにはベゴニアの花も

≪紅葉≫10月下旬〜11月中旬
【両神】 鋸の様な形をした標高1724mの両神山をヤシオツツジ・ナナカマド等が燃える様な色合いで染める
      丸神の滝や昇竜の滝などもあり、晴れた日には、山頂から雲取山等奥秩父連山が望める
      日帰り温泉「薬師の湯」国民宿舎「両神荘」がある
【大滝・中津渓】 塩沢地区〜中津川地区まで10kmも続く絶壁を椛・漆・ナナカマド等が錦絵を作り出す
           日帰り大滝温泉「遊湯館」や温泉水を持ち帰れる「温泉スタンド」がある
【大滝・三峰山】 三峰山の名は妙法ヶ岳・白岩山・雲取山の三山が聳える事に因む
           ロープウェイからの眺めも素晴らしい
           山頂には日本武尊の創建と伝えられる三峰神社がある
【大滝・豆焼沢】 雁坂トンネルを目標に行き、豆焼橋手前200m位の地点から赤い豆焼橋と黄色い雁坂大橋、
           燃える紅葉を一望できる大滝の秋はこ〜よ〜

    11月中旬〜下旬
【長瀞・岩畳】 結晶片岩が折り重なる岩畳の小木の黄葉
         赤・橙・黄色の木々で彩る対岸の岸壁と秋空の青が美しい
         12日〜27日は月の石もみじ園(埼玉自然史博物館付近)
                   日没から夜9時までライトアップ
          最終日にはミニコンサート開催(雨天中止)

≪冬桜≫11月上旬〜12月中旬
【小鹿野町飯田】 札所31番観音院手前、地蔵時前(土産・食事処)岩殿沢・山田家管理の「松木峠の桜山」
           11月中旬には紅葉も楽しめる                           (入園料¥250)
                           
≪蝋梅≫12月下旬〜2月下旬
【長瀞】 宝登山梅百花園・ロウバイ園にふくいくと咲く1500本の黄色い花     

 11月4日(木)の記事
 秩父の芸能人・有名人

林家たい平(落語家):同じ年なんでちょっと知り合い 
             真打ちと成った現在でも夜祭りには毎年参加される秩父をこよなく愛する男
             気取らず、偉がらず接してくれる良い人ですよ^^
一寸法師(歌手):長女の同級生。若い彼等、益々の活躍を期待
           近くでライブの時には娘達も見に(会いに)行っています
           曲がヒットして色んなTV番組に出演できるよう応援しています
桜井賢(THE ALFEEメンバー):売れすぎて地元でのコンサートは難しいとか。残念です
藤原竜也(俳優):初めて見たのは蜷川幸男さんの舞台でした
                     最近はかなり良い役を演じさせてもらっていますよね 
冠二郎(歌手):演歌。秩父を題材の歌など…
椹木野衣(美術評論家):書いてはみたものの…この人、誰?
田上明(プロレスラー):10年前位に近くの式場で妹さんの結婚式が行われたらしい

秩父出身ではありませんが
堀北真希(女優):彼女の父(同級生)は秩父出身。お父さんとは結構仲良かったんです
           スカウトされたそうで、CM・TV・映画と引っ張りだこ!
あき竹城(女優):秩父郡市内にお住まいです。スーパーでお会いする事も…
           プライベートにも関わらず、否な顔一つされる事無く、握手にも応じてくださいました
渡邊さもじろう(画家・絵本作家):吉田在中。わりと近くにお住まいです

そして、ご紹介したい方がもう御三方!
神山征二郎(映画監督):映画「草の乱」製作
箱田友紀(役者):映画「草の乱」「交渉人・真下正義」出演
           本日より次回作(本人ですら分らない映画)にクランクイン
           こちらにお越しの時には我店にお立ち寄りくださり「伝蔵らーめん」を召し上がっていかれます
                     伝蔵らーめん等食べながらのTV中継風のおしゃべりはとても楽しいですよ!
           皆様にもお聞かせしたいシーンです            
塚本連平(映画監督):映画「着信アリ2」「ゴーストネゴシエイター」製作。TV「ドラゴン桜」演出…と活躍中!
             我店にもお越し頂きました。そして、カラオケへ…
             物静かな方ですが、気安く話のできる方です^^
             映画好きの私としては、次回作が待ち遠しいと言ったところ!

 11月25日(金)の記事
 秩父とは…

 秩父盆地の中央にある事から古くから物資の集散地として、また秩父神社の門前町として栄えた。
その為、かつては大宮郷(おおみやごう)と呼ばれ、自治体名も1915年までは大宮町(おおみやまち)であった。
明治には自由民権運動が盛り上がる中で、経済不況の中負債農民が秩父地方で武装蜂起する
                                       (秩父事件)
1889年(明治22) 4月 1日- 町村制施行に伴い、秩父郡大宮郷・別所村が合併し、大宮町となる。
1916年(大正5)  1月 1日- 大宮町が町名を変更し、秩父町となる。
             これは、秩父郡の中心にある事の他に
             1914年に開業した秩父鉄道の駅が郡名を採って「秩父駅」となった事や
              同県内の北足立郡大宮町(後の大宮市、現在のさいたま市大宮区辺)
             との混同を避ける為などが理由としてあったと考えられる。
1950年(昭和25)  4月 1日- 市制施行により、秩父市となる。
1954年(昭和29) 5月 3日- 秩父郡原谷村・尾田蒔村を編入する。
1954年(昭和29)11月 3日- 秩父郡久那村を編入する。
1957年(昭和32) 5月 3日- 秩父郡大田村を編入する。
1958年(昭和33)  5月31日- 秩父郡影森町を編入する。
2005年(平成17)  4月 1日- 秩父郡吉田町・荒川村・大滝村と合併し、秩父市となる。
              (新・秩父市の市花-しばざくら 市鳥-おおるり 市木-かえで)
 

 12月1日(木)の記事
 映画の日

 映画産業団体連合会が1956(昭和31)年に制定した記念日です。
1896(明治29)年11月25日 エジソンが発明したキネトスコープを使って、
神戸で日本初の映画の一般公開が開始され、
この会期中のきりのいい日を記念日としたそうです。

 12月2日(金)の記事
 日本人初の宇宙飛行

 1990(平成2)年
TBSの秋山豊寛記者(当時)を載せたソ連のソユーズTM11号が打ち上げられ、
日本人初の宇宙飛行に成功しました。

 12月3日(土)の記事
 秩父夜祭。そして…

 カレンダーの日
全国団扇扇子カレンダー協議会が1987(昭和62)年に制定。
1872(明治5)年12月3日が太陽暦の採用によって1873(明治6)年1月1日となりました。

 自動車電話の日,コードレス電話の日
1979(昭和54)年、電電公社が東京23区での自動車電話サービスとコードレス電話のサービスを開始しました。
当時のコードレス電話は、電波法の規定により電電公社からの貸し出しのみで提供されていました。
現在のように自由に買取りができるようになったのは1987(昭和62)年10月からです。
携帯電話は1987(昭和62)年4月10日からサービスが開始されました。

 妻の日
凸版印刷が1995(平成7)年に制定。
感謝を表す「サン(3)クス」(Thanks)の語呂合せ。
1年の最後の月である12月に、1年間の労をねぎらい妻に感謝する日。

 プレママの日
ベビー総合専門店「ベビーザらス」の国内第1号店、新浦安店の開店日が12月3日である事と、
12月3日を「いいにんぷさん」と読む語呂合わせから、日本トイザらス株式会社が制定した。

 12月4日(日)の記事
 お誕生日
 『日本における誕生日の習慣』は、本来、満1歳の初誕生日だけを祝うものでした。
明治以降、西洋文明とともにキリスト教の概念が入るにつれ、毎年の誕生日を祝うようになりました。
満1歳の初誕生日だけを祝っていた時代は、
誕生日に餅をつき、氏神にお参りをして、盛大な祝宴を開くというのが一般的なものでした。
 誕生日以前に歩きだした子供には、一升餅を背おわせてわざと転ばせ、家を早く出てしまわないように、
反対に歩き出さなかった子供には、鏡餅を背おわせて健康を祈るという習慣がありました。
『外国の習慣』
西アフリカ諸国やミャンマーをはじめ、誕生日を毎月のように祝う風習のある国々も少なくありません。
またドイツやスイスのように、毎年の誕生日ごとに植樹をおこなう習慣をもつ国も多くあります。
キリスト教社会(特にアメリカ)では、誕生日の度に年齢分のろうそくをバースデーケーキに立て、
それを一息で吹き消すと願い事が叶うという言い伝えがあり、世界中に広まりました。

 12月6日(火)の記事
 宝くじって…

 当たった宝くじ券を誤って破ってしまった場合、どうなるのか?
お札の場合は貼りあわせれば大丈夫なのだが、宝くじはもっと簡単である。
破れた宝くじ券が当たり券だと確認できればよいのだそうです。
と言う事は…
くじの種類、第何回か、組み番号、当たり番号が残っていれば絵柄の部分は無くてもいい。
しかしその逆に…
クシャクシャになって数字が確認できないと、破れていなくても無効になってしまうそうです。
 12月7日(水)
 クリスマスツリーの日

 1886(明治19)年のこの日、横浜で外国人船員のために日本初のクリスマスツリーが飾られました。
また、日本で初めてクリスマスのお祝いが行われたのは、
1875(明治8)年頃、原胤昭(はら たねあき)が設立した原女学校だと言われています。

 12月8日(木)の記事
 歯ブラシ交換の日

 歯ブラシの取り替え時期は1ヶ月に1回が目安といいます。
毛先が広がらず、まだたまだ使えそうに見えても、ブラシの弾力は弱くなっているそうです。
そこで毎月8日を歯の日と歯ブラシ交換の日として、1997(平成9)年にサンスターが制定しました。
 12月10日(土)の記事
 腰痛を防ぐ“おじぎ運動”
 日々の生活の中で中腰姿勢や腰の曲げ伸ばしのくり返しは非常に多い。
腰が「イタタ」となった時、反動として後ろに反り返りたくなる。
これが危ないそうで、腰まわりの筋肉へ負担が掛かり、腰痛の原因となるのだと言う。
知らず内にやっているしぐさだ。
こんな時は、逆に前屈みになり、深いお辞儀をするような運動を2〜3回くり返す方が効果有り。
これまで続けていた筋肉の動きに抵抗なく続けられる動きをしてから身を起こすと
痛みも少なく直立できるのだそうです。

 12月22日(木)の記事
 冬至

 冬至とは、一年中で最も昼が短く、夜が長い日です。
太陽の昇る高さが低い為、影も一番長くなります。
冬至は年によって日がずれます。
この日は、かぼちゃを食べたり、ゆず湯に入りますが、
かぼちゃとゆずは、太陽の象徴とも言われています。
この辺では、かぼちゃを食べて、ゆず湯に入ると風邪をひかないと言います。

 12月27日(火)の記事
 年賀状の始まり
▼「年賀状制度」は、いつから?
文献によると「日本」で11世紀頃、
手紙の模範文に「年始のあいさつを含んだ文」が収められている。
手紙は飛脚などで運ばれていた。

▼ハガキで「年賀状」を出し合うようになったのはいつ?
1873年(明治6年)に郵便ハガキが初めて発行され、
簡単に気持ちを伝える方法として「ハガキ」が広く利用された。
この頃から同時に「年賀状」も普及した。

▼誰が「年賀状」を始めたのか?
『年賀状』は「消息を簡単に伝える事の出来る便利な方法」と考えられて
自然に始まったので特定の人はいない。

▼「お年玉くじ付きの年賀ハガキ」はいつから?
昭和24年(戦後)の12月から発行された。
その当時の一等賞品は『ミシン』!!皆が憧れた商品だったようです。

▼年間の「郵便取扱い量」は、正月が最も多い!
年間270億通のうち、年賀状はおよそ40億通。
一人40枚ほど年賀状を書いている事になります。
 12月28日(水)の記事
 正月飾り

■お正月を迎えるアイテム■
◆鏡もち
鏡もちの由来は、平たくて丸く、当時重宝がられた鏡に似ているからという説があります。
鏡もちの飾りはそれぞれ意味があり、裏白(シダ植物)は「長寿と夫婦円満」、ゆずり葉は「家系が絶えない」、昆布は「よろこぶ」に通じ、橙は「代々栄える」
お正月用の餅つきは28日までに済ませるのが習わしです。
29日の9を“苦”になぞらえ、『苦をつく』からと避けたのです。

◆しめ縄
しめ縄は、神を向える正常な場所を表す印です。
お正月は、家を清めてそこに年神様を迎える為、門前や玄関前にこのしめ縄を張るようになりました。

◆門松
門松を飾る風習は中国が起源とされ、日本では平安時代からで
松などの常緑樹は神様が宿るとし、家の門口にこの神聖な木の枝を立てました。
そして、年神様はそれを伝って降臨すると信じられていました。これが門松の起こりです。
門松は、1対は雌松と雄松からなり、葉が短くて細いのが雌松。これを向って右に飾るのが決まりです。
この門松も29日に飾ると「苦松」=『苦が待つ』となり縁起が良くないと言われます。

ここまでが一般的な正月飾りのようですが、
秩父地方では、この他に神棚の前(向かって右から)に『益々、繁盛、如何にも、よろこび、かき、くり、回す』と言って、
「鱒(枡)、手拭い(半紙)、するめイカ、昆布、干し柿、栗、みかん(毬)」を吊るします。

どのお正月飾りも26日〜28日までに飾ります。
28日は『末広がりで縁起が良い』と言われます。
29日が良くないのは先に書いた通り、
31日に飾るのは神様に迎えるのに失礼な『一夜飾り』とされます。
30日も旧暦では大晦日にあたるので31日と同じ意味で×です。

◆鏡開き
鏡餅は「割る」とは言わず「開く」と言います。
その鏡餅を開いて食べる「鏡開き」は1月11日に行うのが一般神事です。
鏡餅は刃物では切らず、手または槌で開きます。

◆どんど焼き
門松やしめ飾りなどお正月を彩った品々を小正月の15日に持ち寄ってお焚き上げする行事。
「どんど焼き」の煙に乗って年神様がお帰りになると言われています。
この近くでは、秩父市上吉田大波見で行われています。

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埼玉県の山奥にこんな食堂ありました 道草大衆食堂何茶亭